四ツ谷祥って、誰??


一歩を越える勇気。

全ては最初の一歩から始まる。

恐怖。不安。逃げたくなる気持ち・・・。
そんな気持ちを持ちながら。

でも、今日も僕は歩んでいく。

自己紹介 四ツ谷祥

1.四ツ谷祥という人間。

1986年12月30日

東京に近い、千葉で生まれた。
父、母、弟、猫とエステートで育つ。

ごくごく一般的な家庭。

ちょっと違っていたのは、

いつも学校から帰ってくると
両親がいなかったこと。

別に家庭問題とかではなくて、
父親も母親も働いていたから。

父→ 競馬場勤務
母→ 歯科衛生士

僕も弟も家の鍵を持たされて、
いつも小学校から、僕が先に誰もいない家に帰ってくる。

そんなある日、

いつも誰もいないはずの家に帰ると
母親がひとり家にいた。
ソファーに座っていた。

あれ?こんな時間にいつもいないのに
と思って、近づくと、

泣いていた。

!?

一瞬とまどった

母親の涙なんて

見たことがなかったからだ。

どうしたのか。
と思い、恐る恐る母親に聞いてみた。

「お母さん。どうしたの??」

「・・・。」

母親は何も答えなかった。

後に聞いた話だが、
弟が学校から帰ってきて、いつも行く学童保育園に行かずに、
家で友達とゲームをして遊んでいたことが、ショックだったようだ。

とにかく、うちの母親は心配性で、

そして、教育熱心だった。

真面目に勉強して、いい学校に入って、
いい会社に入ることを子供に強く望んでいたと思う。

しかし、弟は、やんちゃで、

常に問題を起こす天才だった。

あるとき、弟が家の近くのテニスコート2面ぐらいある原っぱで、
冬に枯れ草に火をつけて友達と遊んでいたらしい

そしたら、その火が燃え移って、
原っぱの3分の2が燃えてしまう騒ぎになった。笑

警察沙汰になったが、誰かのタバコの不始末として
片付けられた。

そんな、弟と教育熱心な母親という家庭だったので、
僕はなるべく、

真面目

親の機嫌ばかりうかがっていた

そのかいあってか?笑

僕の小学校の成績は、悪くはなかった。
クラスでは、1〜5番くらいをキープ。

学校では、

真面目なキャラで、

学級委員などに推薦されるタイプ。

ただ、なかなか

人前で話すことは苦手だった。

そんな時に、僕のトラウマになる事件が起こったのだ。

 

2.授業中に起こった事件

さほど目立つ訳でもなく、
真面目に勉強ができるキャラの僕は、クラスでは優等生扱いされていた。

小学校4年生の事件までは・・・。

 

その事件が起こったのは、
夏休み明けの9月の授業だった。

お昼休みをいつも通り、図書室で本を読んで過ごした僕は、
午後の授業が始まるので、クラスに戻った。

始業のチャイムが鳴って、
国語の授業が始まった。

授業が始まって、少し経った頃、
僕は、ある体の異変に気がついた。

 

「ギュ〜グルグル・・・」

 

!?

やばい、お腹が痛い。。。

もともと胃腸が弱かった僕にとって、
午後の授業はいつも細心の注意が必要な時間だった。

 

しまった、今日に限っては、

昼休みにトイレに

行き忘れたっ!!

 

時計を見ると、まだ5分しか進んでいない。
残り45分もある。。。

なんでスグにトイレに行かないのか?

疑問に思われる方もいると思うので、説明しておくと、
単純に授業中にトイレに行くのは、

かっこ悪いから。

しかも小学4年生。

女子の評価を落とすわけにはいかなかった。

そんな理由で、トイレに行かない選択をした僕は、

必死に20分くらいは我慢した。

 

我慢して。

「ギューグルグル」

 

我慢して。

「ギューグルグルグル」

 

我慢して。

「グルグルグルグル」

 

我慢して。

「あ・・・!!」

 

まさか、恐れていた最悪の自体が起こってしまったのだ。

僕から発せられた、独特の臭いは、

ものの30秒ぐらいで教室中に広がった。

 

隣の女子は
「なんか、臭くない??」

 

後ろの男子は
「誰か漏らしたんじゃないか??」

 

先生まで
「化学実験でもしてるのか??」

 

もう、八方塞がりである。

逃げ道はないし、救いの道もない・・・。

必死に優等生&学級委員の地位を保とうとする僕と、

この場をどうにか逃げようとする僕と、

諦めに近い感情とが、ごちゃごちゃになった。

 

その後、記憶は確かではないが、
先生に手を挙げて、漏らしてしまったことを言った気がする。

国語の授業は中止になり、
僕はトイレに駆け込み、色々と始末をした。

保健室から、貸し出し用のジャージを借りて、その日は家に帰った。

担任の先生から、親に連絡がいったらしく、母親は帰ってくると、僕を気遣いながらも、

どうして、そうなったのかを問いただした。

父親は、過ぎたことは仕方ない。
これから周りの目も気になるだろうが、

明るく行け!

と無理やり僕を励ましてくれた。

よくわからないが、僕は悪いことをした気がして、
ぶっちゃけ、次の日は学校に行くのを辞めようかと本気で思った。

でも、学校へ行った。

学校へ行くと、何となく気まずかった。
その日、一日は誰とも口をきかずに過ごした。

クラスの中で、変な孤立感を感じて、
上手く授業にも集中できなかった。

クラスの友達からは変な目で見られているような気がして、

もともと、友達と話さない僕は、

さらに

自分の殻にこもっていった。

そんなある日、学校に登校すると、
下駄箱にあるはずの僕の上履きがなかった。

どこを探してもない。
ない。

一瞬で答えが出た。

 

いじめ・・・。

 

正直に先生に言った。

「僕の上履きが無くなったんです。」

 

その日はスリッパを借りて過ごしたが、

翌日、僕の上履きは、体育館近くの人気のない
トイレの便器の中に捨てられていた。

 

当然、親には言えなかったし、
僕の中では、どうでもいいように思えた。

別に、友達なんていなくてもいい

勉強さえ出来れば、僕は幸せだから。

変な正当化に僕は入っていた気がする。

 

3.小学生で初めての起業

小学5年生になって、クラス替え。

周りの友達とは、

当たり障りのない関係

を築いていた。

そんな僕は

常に一人でいることが好きで、

学校の授業の中で一番好きな科目は

「図工」だった。

もくもくと僕の頭の中にある
アイディアを形にすることが、とても楽しかった。

5年生の時に、余った木材で作った貯金箱が、なんと図工の先生の推薦で、小学校図工コンクールに出展されたりもした。

僕の中では、ただ、工作が好きだったのだが、それが初めて

評価されたのが、なんとなく嬉しかった。

 

その当時、僕がもうひとつハマっていたもの。

それは、給食で出てくる

牛乳キャップを集める

ことだった。

牛乳キャップとは、牛乳ビンのふたになっている。丸い紙で出来た、厚紙。

それをなんで集めていたかは、覚えていないが、
とにかく、集めるのが好きだった。笑

机の脇にビニール袋をぶら下げて、
そこに、牛乳キャップを貯めていく。

はじめは、僕ひとりで集めていたのだが、
同じ班の友達も次第に、僕の変な趣味を理解してくれて、牛乳キャップをくれるようになった。

一度始めると、

とことんこだわりたくなる性格で、

僕は次第にクラスの友達の席を回り、牛乳キャップを集めるようになった。

しかし、ある時、

もっと、効率的に牛乳キャップを集める手段はないのか?

と思いつき、あるシステムを作り上げた。

それが
牛乳キャップカジノ

だった。

 

牛乳キャップ5枚と僕が独自に作った通貨(通称:ペニー)
とを交換するというもの。

ペニーの作り方は単純で、
牛乳キャップに色付きシールを貼ったもの。

そして、そのペニーを使って、
昼休み中に、カジノで賭け事ができるのだ。

カジノと言っても単純で、
例えば、お菓子の空箱を使って作った、ビー玉パチンコ。

下敷きであおいで進むヨットを競争させる、競艇。

など

とにかく工作が大好きだった僕にとって、皆が楽しめて、

しかも牛乳キャップが集まる

仕組み作りが画期的だった。

カジノで増えたペニーコインは、
ちゃんと、賞品に交換できたりした。

賞品は、当時流行っていた、

におい消しゴム
バトル鉛筆
折り紙の手裏剣

などなど

 

そんな自己満足で始めた牛乳キャップカジノは、

どんどん噂になり
クラスの女子や、他のクラスの男子までもが、昼休み中に牛乳キャップを持って、

僕の席に集まってきた。

牛乳キャップも瞬く間に集まり、
1ヶ月後には、おそらく300枚近くまで集まった。

僕にとっても驚きだったし、
皆が喜んで参加してくれるので、

楽しかった

そこで、クラスの注目を得た僕は、

忘れかけていた自信と誰かを喜ばす楽しさを再認識した。

 

しかし・・・

ここで辞めておけばよかったものの、
調子にのって、僕はこのビジネスを拡大させるのだった。

欲を止められることは出来なかった。

 

牛乳キャップがあつまるのならば、

お金も集まるのでは!?

人を喜ばせると、牛乳キャップが集まることを知った僕は
「ならば、お金も集めよう」と思った。

当時、家の近くのペットショップで
小さいビンに入れられた観賞用のメダカが
売られているのを見た僕は、
簡単に作れると思い、メダカを10匹200円で仕入れて。

100円ショップでビンを買ってきて、原価200円くらいで、そのセットを作った。

そして、それをクラスの友達に

「メダカ飼育セット」と評して500円で売ることにした。

友達が喜んでくれて、お金も入ってくるならば、

素晴らしいビジネスだ。

小学校5年生の僕は、単純にそう思った。

友達に伝えたら、なんと、その日に3セット売れて、

僕は臨時収入を1500円を得ることが出来たのだった。

 

しかし、その2日後、思ってもみないことが原因で、

僕の最初の

ビジネスは終わりを告げたのだった

メダカを買った友達が家に帰って、
親にメダカのことを聞かれたらしく、僕から買ったことがバレて、

僕の母親に連絡がいき、

 

僕は、母親から

「小学生でお金をもらうなんてダメでしょ!!」

「お金を返してきなさい!!」

 

と、こっぴどく、おしかりを受ける始末になった。

そこで、僕は人を喜ばせても、お金を取ってはいけないのだと

なんとなく子供ながらに思ったのかも知れない。

 

4.人生を変えたテレビ番組

中学生になり、僕は野球部に入った。
1年のうち360日ぐらいを練習に当てる日々を過ごしていました。

これと言って、とりえのなかった僕に、
中学2年生の時に見たテレビ番組が、その後の人生を変えた。

その番組は

「爆笑オンエアバトル」

NHKの深夜番組で、お笑い芸人がネタを見せて、
その面白さを会場の観客が投票して、順位を決めるもの。

その番組で、ある芸人が出ているのを見て。

僕も

こんな芸をやりたい!!

と思うようになったのです。

その芸人さんとは

マギー審司さん。

マジックとお笑いを組み合わせて芸をする芸人さん。

初めて、そのマジックを見て、
爆笑した僕は、単純に、

マジックをやりたい!!

と一瞬でトリコになってしまったのです。

しかし、何から始めたらいいのかも分からなかった僕は、
とりあえず本屋にいき、マギー審司さんの師匠のマギー司郎さんの本を購入しました。

その本を必死に読み、初めて覚えたマジックが、コインが手を貫通するマジック。

翌日、学校に行った僕は、
このマジックを野球部の友達に見せたら、

大反響!!

僕自身、人を驚かせられるのだと感動して
そこからマジックの魅力にハマっていったのです。

高校の文化祭では、全校生徒の前でマジックを披露するほど。

そして、高校生が終わる頃。
僕は、ひとつの決断をしたのです。

それは、

大学に行かずに

「マジシャンになる」

ということ。

何もとりえの無かった僕が、唯一人気者になれた手段が、マジックだったのです。

その頃、テレビで見ていた、アメリカのマジシャンの姿がかっこ良くて、
世界で活躍するエンターテイナーになることが、
いつの間にか僕の夢になっていました。

しかし、僕にはその夢のために

越えなくてはいけない壁がありました。

 

それは「親の許可」をとること。

教育熱心で、いい会社に入りなさいと、
ずっと教えられてきた僕にとっては、

最強の敵でした。

 

僕は大学受験が本格化する直前に意を決して、母親に言いました。

 

「俺、大学に行かずにマジシャンになるよ!」

 

すると、案外簡単に・・・

「あなたはもう子供じゃないし、自分で自分の道は決めていいわよ」

 

と母親は言って、僕の夢をあっさり応援してくれました。

 

 

 

 

・・・という、イメトレをしながら、話した結果。

 

 

 

「何を言っているの!?大学は行きなさい!!」

 

「大学を出てからでも、遅くはないでしょ!!」

 

と、シナリオ通りにはいかずに、大反対。

 

父親とも、口論して、最終的には僕が折れました。

 

ただ、

「じゃあ、大学に行って、マジックのバイトはするからねっ!!」

 

悔し紛れに言った言葉に両親も諦めたのか。

「大学に行くならバイトは何をしてもいい」

と承諾してもらえました。

 

そんなこんなで、僕は大学に行くことを決意。

大学に行ったら、マジックの仕事が出来ると思い、
その一心で受験勉強に打ち込みました。

そして、第二志望の大学に入学。

いよいよ、僕の夢のスタートが始まるのでした。

 

4.時給300円の芸人の世界

志望大学が決まった翌日から、僕はさっそくマジックのバイトをするために動き始めた。

まずはインターネットで、マジシャン募集の記事を探すも

見つからず。

マジック用品を販売している “テンヨー”という会社の
求人募集を見ても、

バイトの募集はなし

マジックショップに片っ端から電話しても、今はバイトの募集はありません。

単純にマジックの仕事をしようと意気込んでいたが、
実際はどのように見つけたらいいかなんて、考えていなかった。

まいった・・・。

ただ、どうしても、マジックの仕事をしたかった僕は、

 

そんだったら、

実際に会いにいっちゃえ!!

と思い、都内にあるマジックショップに行くことにした。

 

1軒目のショップに行くと。

23歳くらいの爽やかなスーツを着たお兄さんがお店にいて、

 

「いらっしゃいませ〜」

 

「・・・。」

うむ、言い出しにくい。

 

「・・・あのぉ、」

 

「はい、何かマジック用品をお探しですか??」

 

「いえ、あのぉ、マジシャンの・・・」

 

「はい?」

 

「マジシャンの募集はしてますか??」

 

「マジシャンですか??

いえ、してませんね。」

 

「マジシャンの助手の募集でもいいんです。募集してないですか??」

 

「うーん、ちょっと待ってくださいね、オーナー呼んできますから」

 

しばらく待つとオーナーらしき風貌の人が出てきて、僕に一言、

 

「今は助手も募集してないんだよね。ゴメンね。」

 

「なんでもやります!お願いします。」

オーナーに向かって、情熱を伝えると、

 

「そういわれても、ゴメンね。」

あっさり。

 

結局、1軒目は助手の募集がでたら、連絡してもらうように
約束もらい、店を出ました。

まあ、そんなに上手くいくわけないかぁ。

熱意さえあれば雇ってもらえると期待しただけあって、

ちょっとした、失望感だった。

 

そして、その足で、2軒目のマジックショップに行った。

2軒目は、池袋の東武百貨店のおもちゃ売り場にある

マジックショップ。

マジックショップと言っても、

2坪の広さしかない。

しかし、後から分かったことなのだが、

ここの坪単位の売り上げが、

東武百貨店全体で一番高いのだった。

そんなことは、知らず、
僕は1軒目に断られた気持ちを引きづりながら、そのマジックショップへ行った。

そこのオーナーとは、何度かマジックグッツを買って仲良くなっていたので、話は早かった。

 

僕が、マジックショップで働きたいことを話すと、すんなりOKしてもらえた。

 

「じゃあ、今度の土曜日から来れる??スーツ着てきてね。」

「は、はい、行けます!!」

あまりにも1軒目に比べてあっさりだったので、僕の方が拍子抜けしてしまった。

 

僕のマジシャンデビューは、大学の入学式を待たずして来ることになったのだ。

 

そして、いよいよ、初出勤日

僕は前の日から色々なネタを仕込んでいき、どんなマジックが来ても対応できる準備をしていった。

これで、完璧だ!

百貨店がオープンして、11時頃。
僕がお店に行くと、子供がオーナーのマジックを見て、キャッキャ言っていた。

マジックが一段落すると、

僕は「あの、今日からお願いします。」
とオーナーに声をかけた。

オーナーは、お店の端っこを指差すと

「お、早いね〜まずそこで見ていて!」

と僕に声をかけた。

 

「わかりました。」

僕はお店の端に立って、オーナーの演技を見ていた。

 

その間でも、どんどんお客さんが入って、驚いて、歓声をあげている。

すごいなぁ〜!!

僕はただただ感心してみていた。

そんなこんなで、2時間ほど立っていて、僕はあることに気がついた。

あれ?

俺、何にも仕事してないな。

立っているだけでいいのかな??

僕は恐る恐るオーナーに聞いてみた。

 

「あの〜、僕は立っているだけで大丈夫ですか??」

 

「おう、今日は立って見てて

 

「わ、わかりました。」

 

結局、初日はお店の閉まる20時まで、

何もせずに立って見ていた。

翌日は日曜日、お店も忙しい曜日だが、

 

またしても僕はずっと

立って見ているだけだった。

 

そして、翌週も同じように

立って見ているだけだった。

 

僕はマジックをやりたくて入ったのに、何もさせてもらえていない。

しかも、お給料の話もしていない

まさかと思うが、オーナーは僕を

タダ働きさせようとしてるのではないか?

疑心暗鬼が湧いてきた、初出勤から3週目。

その日も、お店に出勤すると、オーナーがいた。

 

「今日から、このマジックだけやってくれる?」

 

手渡された、ロープのマジックは子供にウケがいいマジックだった。

僕は簡単なマジックだったが、お客さんに見せられることに大満足だった。

その日は、子供にマジックを見せて、見せて、見せまくった。

子供が楽しんでくれることが、嬉しかった。

その日の営業が終わろうとした頃、オーナーが僕に声をかけてきた。

 

「今日はどれくらい、

売り上げた??

 

「え・・・?」

僕は、言っている意味がすぐには分からなかった。

 

「今日はどれくらい売り上げたかな??

ゼロ・・・です」

マジックを見せることに集中して、売り上げなど、全くもって考えてなかった。

 

「オッケー、ご苦労様」

オーナーは僕に研修費といって、2000円をくれた。

 

帰り道、僕は色々と悩んだ。

マジックは見せて

楽しませるためのものだ。

でも、マジックショップなので、

売り上げも当然必要なのだろう。

そして、研修費は2000円、往復の電車賃とランチ代で、

ほぼ、手元に残るお金はなかった

 

翌日、僕は売り上げを立てるためにマジックを見せた。

 

「このマジックがなんと、1680円です!いかがですか?」

「絶対にうけること間違いないですよ!」

「マスターすれば人気者です!!」

 

そんなトークをすれば、買うだろうと思い、必死で売ろうとした

しかし、売ろうとすればするほど、お客さんは僕の周りに来なくなった。

オーナーのマジックには人が集まる。

そして、なによりの違いは、売れていた。

皆笑顔で買っていくのだ。

なんで、そんなに違うんだ。

僕も同じマジックを見せているのに。

その日が終わるころに、またオーナーに聞かれた。

 

「今日はどれくらい

売り上げた??

 

ゼロ・・・です」

 

悔しかった。昨日と何も変わっていない。

 

すると、オーナーが言った。

「君は2週間、お店に立って見ていて、

何を見てたのかな??

「え・・・?」

予想外な質問だった。

2週間、確かに僕はお店を見ていたが、

何を見ていた?

早くマジックをやりたい一心だけだった。

何を見ていたかは、覚えていない。

どんなマジックが面白いだろう。

そんなことしか考えてなかったと思う。

 

「スイマセン・・・覚えてません」

 

すると、オーナーは

 

「僕たちはマジシャンとは、違うんだよ。

マジシャンはマジックを見せて、観客を喜ばせる。

僕たちの仕事は、喜ばせるのは、当たり前だけれども、

それをお客さんが使ってみて、

お客さんが誰かを喜ばせるサポートをするのが仕事なんだよ。

君はマジックを通して何がしたいのかな??」

 

マジックを通して何がしたい!?

 

考えたことが無かった。

 

もてたい?

人気者になりたい?

友達を喜ばせたい?

 

「はい。研修費」

オーナーは2000円を僕にくれた。

その晩も、またまた悩んだ、なんのためにマジックをするのか。

翌週から、僕はオーナーの演技をとにかく見た。

 

何がポイントなのか?

何が秘訣なのか?

何が?

とにかく

見て、盗んで、実践した。

すると、頭では分からないが、何となく、お客さんの反応が変わってきたのだ。

 

「これ、この子にも出来るかしら?」

 

あるお母さんが僕に言ってきた。

 

「は、はい!!できます。当店で一番、簡単なマジックですので。」

 

「じゃあ、ひとつちょうだい」

 

「あり、ありがとうございます!!」

 

僕が働き始めて1ヶ月、

初めての売り上げだった。

1680円。

今でも忘れない。

あの、嬉しさ

そして、何よりもそのマジックを手にした

子供の笑顔が嬉しかった。

 

「やった〜!!ママ、明日学校で友達に見せてもいいかな??」

 

そのときに、僕の中で、

求めていた答えが出た気がした

 

そうだ。僕もマジックを始めたのは、友達に見せたかった。

なにも、とりえの無い僕が、はじめて自分を表現できた手段。

それがマジックであったし、その体験を伝えていきたい。

 

その日の終わり間際、オーナーから聞かれた。

 

「今日は、どれくらいの売り上げだった??」

 

「1680円です!」

 

「いいね。ちょっとは、何かヒントが得られたかな??」

 

「はい!!」

 

「はい。じゃあ、今日から日当ね」

 

オーナーは僕に、5000円札をくれた。

交通費と、食費を引いて、時給換算したら、300円ほどなのだが、

単純に嬉しかった

いままでもらったお金の中で、一番嬉しかったんじゃないかな。

それから、僕は大学生をしながら、土日はマジックショップで働いた。

(日当はずっと5000円から変わらなかったけど)

その中で学ぶことは、とても多かったし、何と言っても楽しかった

それに、

セールスの原理原則は、

ここで学んだといっても過言ではないと思う。

 

そのまま、僕は今もマジックの仕事をしている。

 

 

 

・・・っと言えば、納得いく話かもしれないが、

僕はマジックの仕事を

大学4年生の春に辞めた

 

5.就職そして起業

大学4年になったばかりのころ、僕は土日はマジックのバイト、

平日は週5日カフェでバイトしていた。

授業にバイトに忙しかったが、忙しいのが好きだったし、

自分が動いていないと嫌だった。

 

しかし、

カラダは正直だった

 

土曜日のマジックのバイト中のことだった。

お店に立っていると、急に冷や汗が出てきたのだ。

最初はよくわからなかったが、

息が出来ない

心臓がバクバクする。

 

一時的なものかと思って、しばらく我慢したが、ダメだった。

オーナーに少し休んでくると言って、

裏の控え室に行って、ソファーに座ったが。

 

ますます息苦しいし、

肩が痛い

 

いったい何なんだ!?

 

分けも分からず、汗も出てくる。

そんな異変に近くに座っていた休憩中の店員さんが気がついてくれた。

とにかく、息苦しいことを伝えると、

百貨店の看護室に肩を支えられて運ばれた。

それから、救急車に乗り、近くの病院に緊急入院になった。

 

病名は「急性肺気胸(はいききょう)」

 

肺に穴があいてしまう病気らしい。

原因は良くわかっていないが、ストレスや生活習慣が多く原因になるのではないかと、

医者は言った。

心配して、親やオーナーがお見舞いに来てくれた。

学校も2日間休んだ。

 

不幸中の幸いは、肺に空いた穴が小さかったので、

手術はせずに病室で安静にする指示が医者から出た。

 

ひとりベッドの上で色々考える時間ができた。

マジックを始めたころにオーナーが言っていた言葉を思い出した。

何のためにマジックをしているのか」

僕にはその答えが、分からなくなっていた。

 

時給300円ほどで朝から晩まで立っていて、仕事をする。

このまま、マジックの道を極めても、必ず一流のマジシャンになる保証なんてない。

それに、この世界に入って、数々のスゴ腕のマジシャンを見てきた。

その人達を超せる自信が僕には無かった

そう考えた時に、僕の中でひとつの結論が出た。

 

「マジシャンは、諦めよう」

 

退院してから、オーナーにも、その気持ちを伝えると、

仕事中に、入院させてしまったことも悪く思ったのか、理解してくれた。

そして、それから、僕は周りの学生と同じように就職活動に入った。

お給料がいいところ。

福利厚生がしっかりしているところ。

そんな条件で、僕は比較的入りやすい、

システムエンジニアという仕事の内定をもらった。

大学も無事に(ってかちょっと単位がギリギリに)

卒業して、

2009年、僕は社会人になった。

 

勤務地:東京 日本橋

金融機関が集中する場所で、証券会社向けのシステムを担当することになった。

金融の知識などなかったが、会社の先輩からは「やりながら覚えろ」と言われ、

僕は会社と家の往復、そして夜は金融の勉強をする日々を過ごした。

業務中はパソコンと向かい合う日々。

昼飯は、弁当を買って来て、自分のデスクで食べた。

出社してから退社までに

「おはようございます」と「おつかれさまでした」の二言しか話さない日もあった。

お給料は手取りで22~3万円ほどで、可もなく不可もなく、

楽しいことと言ったら、土日ゆっくり家で過ごすことくらいだった。

 

そんな生活を、3年近く送っていたある日、

僕が出社すると、同じ班の先輩が休んでいた。

隣にいた別の先輩に聞くと、分からないということだった。

同じ班の中でも、仕事ができて、カッコ良い先輩だったので、

その先輩の休みは僕にも仕事のしわ寄せが来た。

翌日も翌々日も、その先輩は会社を休んだ。

理由も分からないまま、仕事だけが増えるので、

ちょっと無責任だなと思っていたが、1週間が過ぎた。

 

丁度、1週間した時に、隣の先輩がこう言って来た。

 

「あの◯◯(先輩の名前)、

うつで入院してるんだって」

 

 

「うつ!?うつ病ですか?」

 

「そうだよ」

 

よく、新聞などで聞いていた名前だったが、

実際に身近でうつの人を知ったのは初めてだったので、正直、ビックリした。

同時に、あの先輩が!?と驚いた。

先週まで元気に、明るく、一緒に仕事をしていた人なのに・・・。

そんな僕に

追い打ちをかけるように

隣の先輩はこう言った。

 

「まぁ、仕事も急がしそうだったし、

仕方ないよなぁ」

 

 

えっ!?仕方ないって・・・?

 

 

まるで、その病気が病気でないような空気感を感じた僕は、

急に怖くなった

僕がその先輩と同じように急に入院することもある。

そんな生活が当たり前になっている自分の環境に、急に恐怖心が湧いてきた。

 

丁度、同じ時期に、2年付き合った

彼女とも別れた

僕の仕事が毎日遅かったし、

お互いの休みがなかなか合わない生活が続いていたのが原因だった。

あと、その彼女には、があった。

出会った頃から、エステの仕事をしていた彼女は、

将来はエステのお店を自分で開くことが夢だったのだ。

それに引き換え、僕の夢は大学時代に散って

サラリーマンを一生やると思っていた。

上司の飲みの誘いには、付いていき、笑顔で振る舞う。

自宅と仕事場の行き来が、毎日の日課になっていた。

あるとき、その彼女からこんなことを聞かれた。

 

「祥くんの夢は何なの??」

 

・・・?出世して、いい家庭を持つことかな?」

 

「そう・・・何かやりたいこととかないの?」

 

「うーん、これといってないなぁ」

 

「そう・・・」

 

価値観のズレも別れる原因だった。

 

彼女と別れ、仕事の未来もその先輩の入院がきっかけで目の当たりにした。

 

僕は本当は何がしたいのだろう。

 

何のために生きているのだろう。

 

正直わからなかった。

誰も教えてくれないし、回りの人に聞いても、答えが返ってこないのも知っていた。

 

そんなときに、たまたま休日に読んでいた本の中に

こんなフレーズが載っていた。

 

成功者は沢山の人と会っている

 

なぜか、その時の僕には、この言葉が最大のヒントのように思えた。

そうか、色々な人に会ってみよう・・・。

考えていても、答えは出ないし、

行動あるのみだ!!

それから、僕は経営者セミナーや、交流パーティーなどにすすんで参加した。

会社の外の繋がりは、

とても刺激的なものばかりだった。

 

同い年で会社を経営している人

世界一周旅行から帰って来て本を書いている人

世界を相手に仕事をしている人

 

僕の「働く」という概念を見事に壊してくれる人達ばかりだった。

 

そして、ある日のパーティーで、僕は一人の男性と出会った。

 

これが僕の

人生を大きく変える出逢いだった。

 

その人の名前はNさん、福岡で起業して、年収5000万以上までいったが、

知人の借金の肩代わりをしたことがきっかけで、負債を抱え、会社までもを売却。

もう一度、ゼロから起業をすると決めて、

家族4人で東京に来て

1年で売上1億円を作りあげた人だった。

年齢は32歳。

僕は最初に出会ったときに、明らかに、今まで出会った人とは雰囲気が違うと感じた。

無邪気な笑顔からは、そんな背景を感じさせない、

ひとことで言うなら

「愛」を感じた

Nさんが色々経験して来ているからなのか?

それとも元々持っているものなのか?

分からなかった。

パーティーでは、挨拶と名刺交換で終わったが、

家に帰ってからも僕は、Nさんのことが気になった。

いただいた名刺にいっそ、連絡してみようか。

いや、でも初対面で、失礼になるのではないか。

結局、その日は連絡できずに寝た。

 

翌朝、起きて、シャワーを浴びていて、また昨日のことを思い出していた。

よしっ!

連絡してみよう!!

 

そう思って、Nさんにメールを入れてみた。

 

________________

N様

昨日は、名刺交換させていただき、ありがとうございました。

また、よろしければ、お話など伺わせていただけたら、嬉しいです。

四ツ谷
________________

 

その日は連絡が返ってこなかった。

翌朝、Nさんからメールが入っていた。

ハワイに行ってくるので、帰って来たら会おうということだった。

メールが返ってきただけでも嬉しかったのに、まさか会えるなんて。驚きだった。

1週間後に会う約束が決まった。

それから1週間は、僕は仕事に身が入らなかった。

なんて質問しようか、メモ帳に色々と書いた。

そんなことを考えていたら、あっという間に、1週間は過ぎてしまった。

 

待ち合わせは、恵比寿。

指定されたカフェで30分前から待っていると、Nさんは時間丁度に来た。

相変わらず、無邪気な笑顔。

一瞬で背筋が伸びた。

イスから立って挨拶すると、

「まあ緊張しないで・・・って言っても無理かな?」と、

また無邪気な笑顔をみせた。

 

それから1時間は、あっという間だった。

Nさんの師匠がいて、その師匠のそばで学ぶために東京に来たこと。

 

人生は誰と出会うかで大きく変わる。

まずは一人の師匠を決めることが大切である。

人生には決断が必要で、決断にも質があること。

大きな決断には、大きな代償が伴うこと。

 

メモを取ることすら忘れて、聞き入ってしまった。

 

「それで、君は、

どんな人になりたいの??

 

ふと、会話の中で、いきなり質問された。

どんな人??

そんなこと考えたことが無かったが、とっさに

 

「あなたみたいになりたいです!!」

そう答えた気がする。

 

「どうすれば、なれますか??」

 

 

6.これからの夢

Nさんと出逢って、4年半が経ちました。

僕はシステムエンジニアの仕事を辞めて、

Nさんからビジネスを教わり、

そして独立して会社を経営するまでになりました。

 

(その間には、借金を1000万円してしまうという

大失敗もしましたが、この話は是非僕と会った時に直接聞いてください。)

 

会社も登記してから、

3ヶ月で売上が1000万円を超え

現在も順調に伸びています。

社員も現在では6人抱えて、僕自身も会社の代表として楽しくやらせていただいています。

 

今思うと、

ひとりの師匠を決めて、

その師匠に徹底的に学ぼうと思って、恵比寿に引っ越しました。

苦しいこと、辛いこと、逃げたいことは沢山ありました。

 

でも、そこからなんとか出口を見つけて、這い上がって、

光を見た時の喜び

やはり、ビジネスをしていて一番楽しい瞬間です。

 

おかげで、今ではサラリーマンの頃のお給料の

10倍以上を稼がせて

いただいていて、

カレンダーに左右されることなく、仕事をしたい時にする自由を手にしています。

 

世の中には、本当にたくさんの仕事があり、たくさんの人がいます。

でも、僕自身、どのような仕事をするかではなく

 

「誰と人生を楽しむか」

それが一番大切だと、学びました。

 

いま、

僕が人との出逢いにより人生を変えたように。

僕も誰かの人生に影響を与えられるような人物になろうと思ってます

 

ひとりでも多くの人に自由になってもらうこと。

ひとりでも多くの人に好きな生き方をしてもらうこと。

 

新しい働き方の提案をし続けること。

 

それが、

僕の夢(使命)です。

 

7.最後に

長文になってしまいましたが、

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

プロフィールに書いたことは、僕の人生のほんの一部です。

文章も読みにくいところがあったと思いますが、大目に見てください。

僕の経験が、読んでいただいた、あなたのお役に立てたら幸いです。

 

あなたとも、出逢えることを楽しみにしております。

 

是非、文章を読んでの

感想質問も受け付けております。

下の連絡フォームから

気軽にご連絡ください。

 

NO LIMIT合同会社 代表

四ツ谷 祥

 

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